御ス氏のゲームヒストリー
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僕が小学生のころはファミコンが大ブームで友達皆持っていてソフトを貸し借りし合っていたんですが、ウチにはありませんでした。ファミコンが。
なぜなかったのかと言うとオヤジが「ファミコンよりこっちの方が教育上良さそう」だという理由でこれを買ってきたからです。
SEGA SC-3000!!(はたして知っている人いるのか)
クソみたいなゴムボタンキーボードでめちゃくちゃ操作しずらいです。(しかも値段3万円くらい)
このころはまだマイナーだったSEGAのゲーム機持ってる人なんてまわりに一人もいなかったですからね。
もちろんソフトの貸し借りなんてできなかったし、ソフトも一年に1~2本しか買ってもらえませんでしたよ。
子供のころはね、そりゃあファミコンがやりたくてやりたくて仕方なかった。
親に買ってくれとねだっても
「もうゲーム機買ってあげたでしょ!(SEGA)」
の一辺倒だし、お年玉で買うことも許されず。(目がわるくなる、勉強しなくなる)
ひたすら友達の家に行ってやらせてもらう迷惑な子供ですよ。
友達にレンタル料金を払ってファミコンを貸してもらったりして、親に見つかってこっぴどく怒られるなんてこともありました。
ファミコンやりたさのあまり、ダンボールでファミコン本体を作ってタコ糸で繋げたダンボールコントローラーを握りしめて脳内イメージで楽しむという離れ業までやってのける有様です。
多少想像力は鍛えられたかもしれません。
こんな感じで、SEGAには苦い汁を飲まされたにも関わらず、18か19くらいになったときになぜかプレステではなくセガサターン買ってしまったし、その後も何に期待したのかドリームキャストを買ってしまいました。
どちらもあまりヒット作に恵まれないままハードが市場から消えてます。
ドリームキャストなんてファンタシースターオンラインをオフラインで遊んだだけで終わりましたよ。(ネット環境がなかった)
自分の学習能力のなさ、先見性のなさを思い知らされましたね。