明晰夢の庵

懐かしの純喫茶でコーヒーをしばきながら

バレなければいいという考え方は至極危うく、命取り

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以前、踏み切りの一時停止違反で切符を切られたことがあります。

パトカーと警察官は見えにくいところにいて全く気が付きませんでした。

一時停止はタイヤが完全に止まった状態にならなければならず、自分は止まったつもりでも微妙に動いていたというのはよくあることですし、周囲に何の気配もなければなおさらです。

 

違反点数2点、反則金9千円。

「クソッ、善良な市民を陥れるようなマネしやがって!何て運が悪いんだ。」

当時は怒りにも似たような感情を覚えました。

 

しかし、今となっては良い教訓を与えてくれたようにも感じます。

その後は「また、どこかで警察が隠れて見ているんじゃないか…」と警戒するようになり、キッチリ一時停止するようになったためです。

 

よく「運が悪くて事故った」という人がいますが、それは偶然ではなく必然だと思うんですよ。

たとえば一時停止を千回無視したとして、そのうちタイミング悪く一回衝突してしまったとしたら、それは確率千分の一の偶然ではなく、いずれ必然的に起こることだったんですよ。

 

こういうのは、会社や社会で自滅しないための基本姿勢とも言えるのではないでしょうか。

「百」の貢献をしておきながら「一」のルール違反でクビになってしまう人の共通点として、「バレなければいい」という考え方が根底にあると思うんです。

 

意思の弱い人間はバレなければ続けてしまう。

続ければ次第により大胆になっていく。

そうすればバレるのが必然になる。

 

だから悪いことは必ずバレるものだと考えて最初の一歩を踏み出さないことが大事なんですね。

やってはいけないことをやらないということは意志さえしっかりしていれば誰にでもできることですし、必ずバレるという確信を自分に暗示していれば、悪魔に囁かれても踏み止まれるはずです。